どうせ自殺するくらいなら

どうせ自殺するくらいなら、一部の人間関係や伝統などを失ってでも

精神的自由な意味合いで、そして他者や世の中に迷惑かけない範囲で

好きに生きた方が良いと感じた。

単純な問題ではないとは、分かっていますが。

どうせ人間100年後には死ぬのだ。

仮に自殺するなら、他者や世の中に迷惑かけないで、むしろ一般世間の士気や覇気が高まるような

勇壮な方法を選ぶべきだ。

大きな公園などを、それこそ毎日毎時間毎分休むことなく、全力でジョギング(何も飲まず食わずで)するとか、

あるいは、休まず毎時間毎分、血反吐を吐いてでも、シャドウボクシングとか、筋力トレーニングするとか。

そうすれば、嫌でも体力が尽き果てますし。(逆に、気力と気分の方が快活になるかも。)

 

苦しい状態から逃れたいが、もはやその手段が無いと感じて、希望を無くして絶望するのが、

そしてこの状態がいつまでも続く、あるいは悪くなる一方だと、未来を恐怖の目で眺めてしまうのが、

自殺者の心理だと、個人的には思っていますが。

本物の地獄ならともかく、この世の中の出来事は、全て一時的なわけで。

つまり、全ての悪いことは、一過性で一時的でいつかは終わるもので。

(実際、人間だって、どんなに永遠に生きようと意志し続けても、いつかは死にます。)

 

自分でどうにかできることは、自分で処理して、今現在の自分でできないことは断念する

(ただ、内容によっては努力などによって、可能になる場合もある。と融通を利かせて。)

 

のであればいいので。

自分でどうにもならない事には、愉快に服従するのです。(イスラム教の教えですが。)

 

あんまり、わけわからない文章でごめんなさい。

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